生と死って

フルグラをチェックしてるぼく

これはかいぬしのペレットだね

 

ぼく足が悪いけど

こんなにジャンプできる

             ぷぷぷ

 

     ピリカです

うおお

うおお

 

ぼく

足がながいんだ!

          ぷぷぷ

 

 

X(旧Twitter)を見ていると

不意打ちのように悲しいお別れに遭遇する

 

そのたび悲しくなってしまうのだけど

こんなにも互いを想いあって暮らした

鳥さんとかいぬしさんがいたのだと

いうことに心がふるえます

 

 

 

先代ちゃんが入院先で亡くなって

そのちいちゃな体を引き取りにいったとき

ごめんねって思いました

知らない場所で

私の声もきこえないところで

不安だったでしょう

実際泣きながらおうちに着いて

「ぴっちゃんおうちにかえりましたよ」と

小箱をあけたら

先代ぴっちゃんはちょっと怒って

「私もうどこにもいかないから!

 ここにいるからね」とはっきり言いました

 

お星になったり、虹のふもとで待ってていてくれるというイメージでいたのに

どうにもそのイメージにおさまってくれなかった

独特の意志をもつ女子ぶんちょだったのです

 

生と死をはっきりと分断する宗教観を

やすやすとのりこえて

生と死は同時進行しているというか

死んだものもまた

死んでいるという状態を

生きているとでもいうのか

また

肉体といういれものにおさまる必要のなくなった

その存在は

同時にいくつもの場所や時間に

すきなようにとけこむことができるようにも

思えるのです

 

わたしが空の青さや

燃えながら落ちる夕陽を

ぴちピリと眺めているそのときに

私の目を通して先代ちゃんも

同じものを見ているようにも感じるし

またあるときは

微細に金をちりばめた

自然界の光そのものの中に

先代ちゃんが存在しているようにも思える

変幻自在にそこらじゅうがもう

存在で埋め尽くされているようにも思える

 

だからいつかわたし自身も死を迎えるときに

わたしが愛したぶんちょ達は

虹のたもとでは待っていない気がする

人間と小鳥という線引きはそこにはなく

ただ同じ輝く流れの中に

いっしょに溶け込んで

わたしたちは気ままに

そこにもここにもあそこにも

在りたいように在るような気がする

 

いずれにせよ

それは死んでみないとわからない

 

いつかぴちピリを見送る日に

その最後のひと呼吸を

この部屋でみつめていられたらと思います

わたしが仕事などで留守にしていたとしても

慣れ親しんだこの部屋のこの景色と

香りや音の中で

安心して最後を迎えられたら、と思ってます