ひまわり

すっかり涼しくなったから

手の中さいこう

寒くても暑くても ここが好きだけどね

 

指の隙間にそーっと

くちばしをはさみいれるのも

たのしたのし

 

    ピリカです

ななめの太陽に

ぼくのすねげがキラキラです

ぼくこのようにほら

しっかりお手入れしてるからね

             ぷぷぷ

 

ゴッホの絵ではだんとつ、「星月夜」が好きで

スマホケースも星月夜です

ぴっちゃんもピリカちゃんも

スマホのカメラをむけられるとき

いつも星月夜を見ているわけです

 

「ひまわり」は

子どもの頃はなんだか心に響かなかった

青空にはじけるような鮮やかな黄色というわけでもなく

くすんで薄茶色で半分枯れかけているくせに

へんにねろねろとしていて

ちっともきれいと思えなかった

ルノワールの絵のように

光に向かって薄目をして

自分のまつ毛の間からきらきらと見えてくるような、

そんな絵がきれいな絵の代表だと子供の頃は

思っていた

 

でも大人になった今は

ひまわりの凄みがわかる

花が枯れかけて終わりを迎えるそのとき

その中心ではいのちの種が実っているさまを

  • ゴッホはちゃんと描いているのだ

 

好きになった女の人には「きもい」と言われ

大好きなゴーギャンには「うざい」と去られ

村の人々からも疎んじられ

欲した成功も理解も得られず

ひとりぼっちのアルルで

「きみのひまわりはとてもいい!」と

褒められたひまわりを何枚も何枚も黙々と

描いていたゴッホを思うと

このねろねろとしたひまわりの発している

凄みみたいなものが

伝わってくる気がする

 

「身軽」の反対語ってなんだろう

(身重...だとまた別の意味になってしまうし)

つまりそんなかんじ

粘度の高い、重い液体から足をひきぬいては

ようよう次の一歩へとまた足を浸す

底を蹴り上げて進むためには

やはり深く深く一度

もぐりこまねばならない

そんなかんじ

 

ねろねろとひまわり

ゆらめいて

見えない炎に焼かれてるみたい

きっとこれを描いているゴッホ自身も

ねろねろと焼かれていたと思うのです

自らの内なる炎に

 

現存するひまわりのうちひとつは

日本の美術館にあるので

観に行きたいと思います

 

 

 

ちなみにこの原田マハの小説は

ゴッホが自分を撃ったとされるリボルバー

めぐる話です

(まだ半分しか読んでない

ぴっちゃんと一緒にのんびり読みます)