夕暮れとき

東のはじから西のはじへ
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使ってない部屋のすみで
“きょう”が今日にしがみついて泣いてた
間に合うからおゆきなさい

くもたちはみんな
あの山の向こうのほうへ
ながれていったよ

上空はここより風がだいぶはやい
ふわりまいあがって
あの気流にのりこめば
追いつくでしょう
みんなとおゆきなさい
ひとりじゃないよ
みんないっしょにしぬのです

そしたらこんどは
あちらの反対側の山の向こうから
金の光となって
またうまれてくればいいんだよ
 
 
 
 
 

最近雲が多くて

あまり赤々と燃えるような夕焼けはみられない

 

それでも夕暮れときって

何かしら美しくて

何かしらせつなくて

何かしら

赦したり

赦されたりしたくなる時間だ

 

フランクルの「夜と霧」の中の

あるエピソードをいつも思い出す

くたくたに疲弊した一日のおわり

わずかなパンのかけらの食事を終え

肋の浮いたからだをよこたえていると

「おい、みんな外にでてみろ!

 すごい夕陽だ!みてみろ!」と

駆け込んでくる者がある

もうみんな限界まで疲れ切っているのに

よろよろと外にでて

その夕陽をみつめる

あるものはじっと涙を流し

あるものは

「世界はなんて美しいんだ」とつぶやく

あるものは

木箱の上に立ち

オペラのアリアを独唱する

 

過酷な収容所生活を耐えぬき

生き残ることのできたものは

強靭な意思や剛健な精神や

屈強な肉体をもつものではなく

しばしばそうやって

夕陽の美しさに心打たれて

震えてる人々が多かった

   というエピソードだ

 

(部分に記憶違いがあるかもしれませんか

ざっとそんな内容だったはず)

 

 

 

そんなことをぼんやり思い出しながら

ぼくはいつも声かける

「ほらかいぬし

 夕陽をみてごらんよ」と