レモンぶんちょ  詩の評価

ぴっちゃんはレモンぶんちょになりました

びっくりなのが

去年の5月2日にレモンぶんちょになりましたって記事があったこと

ぴっちゃんの体内時計すごい


でも読み返してみて

ぼろぼろでうまく飛べないのにケージから出し

着陸に失敗して

テレビの後ろに落下したという記事がありました

そこで、本人がでたくない日はそっとしておく

というあの日の猛省にたちかえれてよかった

かいぬしぼくがんばってるから

もうすこしまっててね

リサイタルだけは変わらず開催するから

明日の朝も朝陽といっしょに歌うよ

          ぷぎゅわ


ぼくは

しろぶんちょさんとにこにこ

この子は家来じゃないの

ぼくのおともだちー

              ぷぷぷ

残念ながら詩は

音楽や絵画のように

国や異なる言語を持つ人には届けられない

狭く小さな表現方法だな...と思う

『詩は弱者の文学だ』って言葉もある


その言葉の解釈はおいておいて

詩が評価をされたとき

自分もちいさくちいさく、

世界や社会というものに所属できているのだ

という実感を得ることができた

読んだ側から忘れられたとしても

誰かの心に何かを瞬間届けられたのなら

「詩」というものは私にとって

自己表現を超えた

自己救済とも言ってしまってかまわない気がした


ぼちぼち

書けたり書けなかったり

つまらないものばかりを量産してるけど

きっと今までわたしのちっぽけな人生におきた

おそろしくつらいことや

ちいさなよろこびたちは

あれは撒かれた種だったんだと思う

この先の人生も

もがきながらあがきながら

生きていけばいつか

なんらかの収穫にあずかれるのではないかと

希ってみる