ベートーベンのつづき

夕陽はね

おっこちたあの先で何してるんだろうね

 

今日もおてての中から

夕陽当番

 

死んじゃった動物園のオスライオンも

夕暮れ時は

いちばんよく見える場所に寝そべって

ごうんごうんって

吠えていたよね

ぼくも夕陽の中で

ステップふんでみるよ

 

    ピリカです

ぼくのしっぽ

横っちょから出てきてるのがあたらしいので

真ん中のが古きしっぽだよ

 

ぼくとおにいちゃんと

彫りの深いあいつで

ぼくたちの違いがわかるかな   

かんたんです

いちばんかっこいいのがぼくですから!

              ぷぷぷ

 

 

昨日の映画の話のつづき

 

「第九」のあの歓喜に満ちたフレーズを

こどものときは日本語訳で歌わされていた

“見交わす我らのあかるきえーがおー”

の部分

“見交わす”ではなく

“身をかわす”だと思っていた

暗黒の宇宙の果てには

星々があつまるひときわ賑やかで

まぶしい場所があって

そこを目指して弾け飛んでゆく自分が

どの星にぶつかることもなく

自身もはげしくはげしく

青く明るく燃え進んでゆくという歌なのだこれは

  と信じていた

(実際はちがったわけだ

複数の人々がいて

それぞれの顔に喜びに晴れた笑顔を

互いに確かめ合うという喜びの歌だった)

 

映画の終盤にこの第九がでてくる

 少年だったルートヴィヒが

逃げて逃げて逃げて走って走って

辿り着いた夜の湖には星々がうつり

服を脱ぎて、肉体を脱ぎ捨て

息子であることを脱ぎ捨て

何かを乞い願う心を脱ぎ捨て

湖に飛び込む

星空と湖面は混じり合い

その星々の中でただひとつの魂が

自由に身を委ねている

   という場面だ

 

映画の中でベートーベンは

音楽は聴くものの魂を作曲家の心の深淵に

ひきずりこむのだ的なことを言っていたけど

まさにその通りだとおもう

 

この第九のシーンを宇宙にしちゃえ!って

作った監督とてもいい

第九が宇宙なんだってことが

映画化されていてほんとにおどろいたし

うれしかったシーンだ

 

という大好きな映画なのです

 

今日、あらためてもう一度観てみました

星空のシーンは映画館のスクリーンで観てみたかったな

 

もにゅもにゅ

 

ぼくもあすの朝

歓喜のうたを歌うよ

かいぬしにあえてうれしいよって歌うよ

 

わたしの不滅の恋人は

夕陽色のくちばししてるね