第九の夜

かいぬし今日は楽しみにしていた第九だね

ぼくおるすばんしてるよ

 

    ピリカです

だめですかいぬし

おやつ増量してからでかけるべきです

                 ぷ!

 

 

というわけで

おやつちょっと多めにあげて

出かけてきました

本物の雪にシンプルな電飾

こんなツリーがいちばん美しい

 

 

第九を聴くのはこれで4回目だけど

それぞれに違いがある

 

第三楽章は美しい

その美しさの中に今日はほんのり

人の人生の中にある

「赦しをもとめる心を感じた

人は許しの必要な生き物なのだ

許されることも

許すことも

 

キリスト教の文化圏の人々には

「神に赦しを求める」という軸がある

日々の祈りの中にも

聖句の中にも「赦したまえ」はふつうに

繰り返される

 

わたしたちはゆるし、ゆるされて生きていく

どこまでゆるすことができるだろう

どこまでゆるしてもらうことができるのだろう

 

過去を生きることはできない

未来を生きることに傲慢にもならない

常に「いまこのとき」をしか

生きることができない

消えてはうちあげられる花火のように

第四楽章

歓びは宇宙に向かって駆け上がる

 

君の人生にも痛みと後悔があり

私の人生にも痛みと後悔があり

なんのための人生なのかと

ベートーベンに問うならば

彼はとても明確に

「生きることをよろこぶためなのだ」と

返事をかえしてくれる

 

難解な交響曲などはときどき

置いていかれてしまうけれど

ベートーベンって最後までちゃんと

手を繋いでゴールまで連れて行ってくれる

置いてきぼりにはしないのだ

 

歓びに弾ける音の余韻が消えきらぬまに

次の歓びの音がまたうちあがる

そうやって歓びは歓びを押し上げあいながら

高みへと登り詰めるのだ

 

今回の第九は

川瀬賢太郎さんの指揮もかっこよかった

 

そしてアルトを、東洋人初のカウンターテナーとしてウィーン国立歌劇場でデビューしたという

藤木大地さんもすてきだった

 

拍手喝采の中で

タキシードの胸を誇らしげに

姿勢を正していた合唱のおじいさんたちも

もちろんすてきなのだった

 

とてもいい夜だった