春の次がすぐ、秋であれば良いのになどど
うすぼんやり
夏を疎んじていたぼくらにとって
今年の夏は少しだけ
特別な夏になったようだ
ふりかえれば悲しみを
小出しに伝えてしまったきらいはあるが
でもすべてを語ることは
しない方がいいように最近では思える
ぼくらの悲しみは
ぼくらのものだけであった方がいい
いい加減手放してしまおうぜと思う一方で
それらすべてを葬り去るのは
幼い日々を抹殺してしまうような
寂しさを伴うものだから
いまはね
悲しみをうまく傍に配置したままで
もう随分研ぐことをしなかった刃物のように
うまくあしらうことが
できる頃合いになったんだと
そんな気がするよ